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思いつきや日々の出来事などを勝手気ままに綴っております。 コメントは bbsへ へ。

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過去一覧


2009.12.26(土)

同業者の仲間が集まって飲もうということになった。
新今宮駅前から歩いて大国町の立ち飲み屋『エノキ屋』に向かう。この店は前から一度行ってみたかったところだ。
店内は広く奥行きがあり、大きなカウンターが落ち着く。壁には高知に関するポスターが貼られてあり、高知出身のナロさんがそれに気がつき、店のお母さんに話しかけた。聞くと今は亡き先代店主が高知出身ということらしい。
メニューに最近高知の名物である「ぎょロッケ」という魚のコロッケがありみんなでそれを食べた。

新世界に戻り、ぶらぶらと大阪に訪れた観光客気分で歩き回り、通天閣の足下にある『総本家更科』で熱燗を飲みつつ鶏なんばを食う。ツルツルと喉ごしが良い白いそばである。身体が温まる。明治40年創業というだけあって店内の趣は格別。一見の価値ありだ。

店を出て、近くの新世界国際劇場の前で成人映画のポスターの前で立ち止まる。
ただ立ち止まっただけである1
ただ立ち止まっただけである2

その後もう一軒行こうということで『赤坂屋』のビニールテントの中に入り、串カツや焼き鳥を頬張り生ビールを飲んだ。オモロイ話はもちろん、ふだんは話さないようなことを話したり、タマゴの話をしたり、おかき持参のある作戦を企んだり……。
今夜はなかなか良い忘年会となった。



2009.12.25(金)

相方とクリスマス用の鶏のモモ肉を買うために出かけた。しかし目当ての鶏肉屋にはもう売り切れてなかった。そこからスーパーマーケットを二軒まわってみたが、もうすでに焼いたやつしか残ってない。
諦めかけていたところ、鶏肉コーナーのど真ん中に一つだけ売れ残ったと思われる丸鶏があるではないか。しかも半額シールが貼られている。表示価格の半額ということは、なんと570円と激安だ!いっぺん鶏の丸焼きなどをしてみたかったという思いもあり、ちょっとした好奇心で買ってみた。
ところが、である。帰ってから気付いたことなのだが、うちのオーブンレンジだとトレイを上段にセットしなければならず、そうすると丸鶏が丸ごと入らないのだ。これでは丸鶏である意味がない。しかたなくせっかくの丸鶏を急きょ解体することにした。
鳥肌の肉塊は慣れない人にとってはかなり強烈なビジュアルだ。何かに似ているとか想像を膨らませるほど尻込みしてしまい、最初は触るのもためらうくらいであったが、二人であーだこーだと言いながらさばき始めてみた。
胴体から骨付きモモ肉、手羽先、手羽元を切り離した。もはやいつもスーパーマーケットで見かけるパックに入った鶏肉である。人間とは単純なもので、鶏の原形を失うに従ってさばくのが平気になってくるのだ。でも、たぶん新しい丸鶏を目の前に置かれたら「ふりだしに戻る」だろうと思う……。
胴体は煮込み料理に使うのでこれ以上解体しないでおく。
あとは相方に任せた。塩こしょうを揉み込みんだ鶏肉をオーブンでこんがりと焼いて出来上がりである。
ワインを飲みながら食べた。うーむ、ジューシーでたまらんうまい。
後日に胴体部分を食べるのを今から楽しみにしているのである。


2009.12.22(火)

酒を多く飲んだ翌日というものは、なぜか「やっちまった」というような罪悪感というか、自己嫌悪に近いものが昼すぎくらいまでずっと残る。このような状態はどうして起こるのだろうか。
おそらく昨夜は酒を飲んでいても意識ははっきりとしており、しっかりとした行動をしているはずなのだ。ただ一晩寝ると記憶が部分的に消える現象が起こる。そのために覚えていない部分は、もしかすると醜態を演じたのではないかなどと、やってもいない罪のための罪悪感、もしくはなにがあったのだろうという不安感に悩まされることになる。
だが、覚えていない部分のことで罪悪感や不安に感じる必要もない。そうしなければいけないことは何もやっていないのだ。そうに決まっている。そうに……。
罪悪感と不安感が消えて無くなるまでの間、人知れず記憶を辿ることに必死になっているのである。

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夕方のテレビニュースを見ていた。
ワンコインタクシー値上げ問題について、街頭の一般人にマイクが向けられていた。
その中になんと友人Wがコメントをしていた。最初は気がつかなかった。ぱっと見て、単なる会社員二人組であって「いいおっさんだ」くらいに思っていた。すぐに知ってる顔だと分かる。それが高校時代からの友人Wであったのだが、ここで驚いたのは、同級生のWがしっかりおっさんになっているということだ。テレビを通して見た最初の一瞬、友人としてではなく、まったく知らない一人の男として見たときに、なんというか、その……、実におっさんだったのである。
Wよ!もっとワカワカシクアレ!



2009.12.21(月)

大正区のバー『WONDER』のマスターH氏と5時に九条のマクド前で待ち合わせた。
今日は久しぶりのはしご酒ツアー。待っているところへチャリンコ漕いでやって来たマスターH氏、止まりもせずに「このまま直行するぞ」と目顔で言う。どうやら今回も『白雪温酒場』でスタートするようだ。
『白雪温酒場』はいつものように田舎の温泉場の雰囲気を醸し出している。外から見ると一見休みかと思わせるくらいの暗い照明で、知らない人は帰ってしまうだろう(左上写真は明るく調整したもの)。店内はBGMなど一切なしで、客のおやじたちが無口な者ばかりだと、一列に並んだカピバラが湯に浸かっているといったような一種異様な空間になる。静かさに堪えられない人はたぶん落ち着かないだろう。
マグロ、カンパチの刺身とおでん数品で生ビール、ぬる燗2〜3本で店を出る。言うまでもなく安かった。
次は商店街の中にある立ち飲み屋『小林の酒場』で焼酎のお湯割り。本日のおすすめだというブリの刺身を食べた。おすすめというだけあって脂ののったブリはとても美味かった!立ち飲み屋でこの肴を出せるとは驚きだ。
グラスが空きかけると若い女性店員がおかわりを勧めてくる。ちゃっかりしているが、「オ客サン、オカワリドシマスカ」の韓国訛りが可愛くて「じゃあ、次は神の河で」とつい頼んでしまう俺たち。
九条を離れ、大正区に移動。こうなれば次も魚のうまい店だということで、大正駅近くの『くろしお』に入る。この店にはマスコット猫がいるため、客には猫好きが多いようだ。
焼酎のお湯割りにまぐろの中落ちと酢ガキ。今日は外れなしだ。
そして、次の店に向かうマスターH氏の後についていくと、マスターH氏はずんずんとあるマンションの中へ入っていく。インターホン鳴らして入ったところは、なんと新婚のS宅である。俺たちは迷惑な酔っぱらいの何者でもない。マスターH氏はもう中に入ってしまったので、図々しくもしかたなくおじゃまして酒肴を御馳走になる。(奥様、いきなりスンマセン……)
大阪人はM−1の時期になるとみんながみんな一端のお笑い評論家となる。町中どこへ行ってもM−1の話が展開されているのである。『マンスリーよしもとPLUS』でも購読しているかのごとく芸人についてかなり詳しかったり、各々お笑い論を持っているからとにかく熱い。S宅でもM−1の決勝の話になり、あれはどうだ、これはこうだと盛り上がる。
最後にマスターH氏宅に上がり、こたつに入って焼酎飲んで、ハードロックからブルースに転向後のゲイリー・ムーアのギターで盛り上がる。ヴァニラ・ファッジの「You Keep Me Hanging On」がかかった頃から二人とも妙な陶酔モードの様子になって、挙げ句には二人がそれぞれ勝手にエアライブ。ホントに馬鹿だ俺たち。だけどたまには馬鹿みたいに酔っぱらいたい。マスターH氏、いや、マスターH、いやいや、H!あんたいいやつだ。なぜなら、ここぞというときにいつもみっともない醜態を見せてくれるからだ。(無論、俺もだが)
この歳になって、こんなにいっしょに愉快に酔ってくれる仲間はそうはいない。



2009.12.19(土)

ユニクロでヒートテックタイツを買った。
これから俺の下半身を温めてくれるのは昔から履いてきたパッチではなくなりタイツになる。自民党から民主党に政権交代したことだし、パッチもタイツに政権交代だ。
これにより以前に作った「パッチ履いてマス」張り紙も「タイツ」バージョンに作り替えなければいけない。
ホームページに使ってくださっていたみなさん、すみません!俺もうパッチじゃない。裏切り者です。
それと、これも以前に書いた「パッチ考」
ここに書かれている内容はタイツにも同じように言えることなので、「パッチ考&タイツ考」として発表していきたいと考えています。すみません!俺は横着者です。
しかも反動でちょっと派手目な紫色を買ってしまい、ズボン(今時じゃパンツというのか)を履く前の姿を相方に「ヨッ、歌舞伎!」と突っ込まれると、思わず歌舞伎役者の真似をしたりして、調子に乗る俺なのである。



2009.12.16(水)

朝から中央図書館で調べもの。
立ち食いうどんの『大和庵』で遅めの昼飯を取り、食後のコーヒーは喫茶『和光』にて一服である。



2009.12.13(日)

ホテル大阪ベイタワー「ワンナイト・イルミネーション2009」が見えた。
今年もやっとるなぁ、としばらく見ていた。
あれは参加者たちが客室のカーテンを開閉して図柄を変化させているらしい。
相方が見つけたときは「777」の図柄だった。スリーセブンといえば、パチンカーなら昔のデジタル機の大当たり画面を想起するだろう。
必然的に、あのホテルのロビーからでっかい銀玉がいっぱい出てきたらおもろいなー、とアホなことを俺は想像する。
やがてツリーの図柄になったまま。どうやらイベントは終わったようだ。



2009.12.10(木)

散歩がてら中央図書館へ取り置きの本を受け取りに行く。
たまたま今朝の新聞で知った、図書館一階での催し物「なつかしの昭和・新町展」もついでに見た。
そこで西区新町界隈の昭和初期の写真資料を見た。
長堀通りが川だった頃の写真、木材市場の写真など、話には聞いていたけど見たことのなかったものが、写真として見ることができた。
中でも江戸の吉原、京の島原と並んだ三大遊郭のひとつである大坂新町遊郭の写真に感心した。今ではその頃を想像できないくらいにあの一帯の街並みが変わっているが、そこにたしかにあったんだという新鮮な驚きである。

九条商店街の喫茶和光でコーヒーを飲んで一服してから帰る。

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昨日、阪神の赤星が現役引退を表明した。
2年前に赤星が頸椎椎間板ヘルニアだと発表したときのことは、俺も同じころに頸椎椎間板ヘルニアの痛みで悩まされていたのでよく覚えている。
そして今年9月試合中に負傷。「中心性脊髄損傷」と診断され、医師からは、この先プレーを続ければ不随の可能性があることに加え、最悪の場合は生命の危険もあると言われたという。33歳と本来ならまだまだやれる年齢だという人もいるようだが、他人には本人の痛みと恐怖が分からない。やはりしかたがないことだろう。
実際、いままでよくプレーできていたなと思うくらいだ。



2009.12.9(水)

『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』を観に行ってきた。
なかなかよかった。
50歳代になったリップスとロブはまるで少年のように純な気持ちを持つ二人。仲の良い兄弟のようでもある。彼らはいまでもロックスターを夢見ている。ライブのない日は生活のため給食配送業や建設現場で働いている。
25年前にはホワイトスネイクやボン・ジョヴィといった有名バンドと肩を並べたこともあったが、その後10枚のアルバムを出しても一向に鳴かず飛ばず、次第にアンヴィルの存在はミュージックシーンから忘れ去られる。
個人の素人マネージメントで5週間のライブツアーに出た。しかしこれもうまくいかない。移動手段の電車に乗り遅れたり、客が極端に少なかったり、ギャラをもらえなかったり、喧嘩したり……。行く先々で様々なトラブルがある。ことごとくついていない。それでも彼らは夢を諦めない。今度は新たに作ったデモテープをレコード会社へ売り込みに回って契約を取ろうとする……。

なんとか必死に夢を実現させようとするリップスは、他人から見れば滑稽だろう。笑ってしまうことがある。でもその笑いは嘲りなんかではなく、仲の良い友人と笑いあうような親しみからくる笑いなのだ。
演奏するときのリップスは本当に楽しそうだ。50歳の男をだんだん可愛く思えてくるのは何なんだ……。

見ていて可笑しかったり、呆れたり、心配したり、そして最後にはジワ〜〜〜っとくる。見終えたときには、乾き気味の心がほんわか温かく潤っている、そんな保湿効果のあるニベアクリームのような映画だった。

映画館のある梅田スカイビルから歩いて久しぶりに中津の居酒屋『いこい』へ向かう。
アジのたたきとおでん盛りに、瓶ビールと熱燗呑んで帰る。

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BSで放送していた松本清張原作の
「黒い画集 あるサラリーマンの証言」を観た。
サラリーマンのついたたったひとつの嘘。その嘘を突き通すために嘘を重ねていき、引き返すことができなくなっていく……。
考えただけでも嫌な汗が出そうだ。
橋本忍の脚本がどんどん嫌な汗を噴き出させる。
嫌な汗を噴き出すサラリーマンを演じているのは小林桂樹。
近ごろサラリーマン役の小林桂樹をよく見る。『江分利満氏の優雅な生活』に社長シリーズ。小林桂樹の顔、体格がサラリーマンにぴったりなのだろうか。



2009.12.8(火)

松本清張特集
「天城越え」を観た。



2009.12.7(月)

松本清張特集
「高村薫・佐木隆三 往復書簡『清張を巡る対話』」
高村薫のSM的な見解がおもしろい。

「名作をポケットに『松本清張〜或る“小倉日記”伝』」
大岡昇平の松本清張批判で「松本清張のひがみ精神による復讐劇が世間にもてはやされる時代は健全とはいえない」と書いた。「ひがみ精神」に対して松本清張は「大岡昇平が私と同じ生い立ちであったらそう言えるだろうか」と言い返したという。



2009.12.6(日)

松本清張生誕100年ということで、毎日のようにBSで特集が多く組まれている。
1982年放送の「土曜ドラマ けものみち(1)〜(3)」を観た。
大物フィクサーの変態老人を西村晃がうまく演じていた。

1975年放送の「土曜ドラマ 遠い接近」を観た。
色版画工の男(小林桂樹)が赤紙(召集令状)により徴兵された。入隊後に赤紙は役人の都合で不公平に発行されていたことを知る。復員すると家族は疎開先の広島で全員死んでいた。
男は赤紙で自分の人生を狂わせた役人に対して復讐することを考える……。



2009.12.5(土)

二日前から謎の腰痛のためT整骨院で治療を受ける。
VRTを施してもらったあと、女先生から「いつもは鍼を打たれていますけど、今日は微弱電流をさせてください」と言われ、その先生オススメ治療に変更。
微弱電流治療中、女先生に「お辛いでしょう、ほんとに災難でしたね」と言われた。
災難という言葉を言われるなんて思ってもみなかった。
災難とは、「不意に起こる、不幸な出来事」をいう。腰痛が災難か、そう考えただけで身体がラクになるようだ。なんだか自分のせいではないような気もしてくる。
考えてみれば腰痛なんて本当にそんなものかもしれない。ひとり勝手に気に病む必要なんてない。ちょっとした身体のひねり具合が悪かっただけだ。単なる災難と思えばいいのだ。
災難て、なんていい言葉なんだ。



2009.12.1(火)

サントリーミュージアム天保山で開催されている『クリムト、シーレ ウィーン世紀末展』を見に行った。
とにかくクリムトとシーレの作品展示が少ないことにがっかりした。
「これだけか?この部屋だけか?!」と拍子抜け&立腹。もっと多くシーレの絵が見られると思っていたのに……。本当に残念だ。
たぶん観客のほとんどがクリムトとシーレに釣られて来たのだと思う。みんなヤラレタ!と憤慨しているに違いない。
俺はわざわざウィーン・ミュージアムのコレクションを見に来たわけでも、美術史を勉強しに来たわけではないのだ。はっきり言ってクリムトとシーレの絵以外は退屈でしょうがなかった。
これなら展覧会名を単に『ウィーン世紀末展』と明記するべきだ。
こんな人を引っ掛けるようなことをしているようでは、サントリーミュージアムが閉館になってしまうのもしかたがないとも思った。関西では文化・藝術が育たないから美術館を運営していくのはきびしいと誰かが言っていたが、問題は観客側ではなく、魅力のある展覧会を企画できない美術館側にあるように思えてくる。
今回はとりあえず、数少ないシーレの絵には顔面を30センチまでに近づけてよく観たけどね。あの線はそう簡単には引けないよ。

エゴン・シーレといえば、ある人を思い出す。ひとまわり以上年長のデザイナーのMさんのことだ。
Mさんは絵描きを志して若い頃に九州から出て来た。しかし今は大阪で独り、デザインの仕事をしている。俺が知り合う前、Mさんは仕事でリアルな絵が必要となると自分で描いていた。生物の絵になると皮膚や毛の質感表現に妥協はなかった。いっしょに仕事をしたときにはたとえどんなに小さな絵に対してもその要求の細かさにマイッタという覚えがある。
Mさんは絵描きになることを諦めた事情を話そうとはしなかったが、まだ心のどこかに諦めきれない気持ちを隠しているようでもあった。時間ができれば仕事と関係のない絵を練習だといって描いていた。鏡を見て自分の手足を丹念に描いた手数の多いデッサンだった。何を描きたいとか、どう表現したいとかいうよりも、とにかく描いていたい、そんな絵だった。それはMさんの、諦めきれない気持ちの唯一のなぐさめ方だったのかもしれない。
Mさんの事務所に行く度、田中一村の画集を貸してもらったり、いろいろと話を聞かせてもらった。大体が孤高の画家の話が多かったように思う。
いつだったか「寺西さんにこれを見せたいんや」と、事務所の奥からひっぱり出してきた大きな素描画集、それがシーレだった。高価そうであったから、だいぶ奮発したんだなと思った。Mさんはページをめくりながら見せてくれる。「どーですか、ほれ、これなんかどーですか、寺西さん?」俺はただ「おおおっ」と唸るばかり。
「これぐらい描けるようになるには並大抵じゃないですよ。そらもう死にものぐるいで描かんと駄目ですわ」
「いやいや、僕は画家でもないし、そんなの無理ですよほほほぉ」
「何を言ってるんですかぁー。まだまだこれからぁ! お、もうこんな時間!」
そう言うと、Mさんは上着をひっかけて出かける。いつも夕方からパチンコを打ちに行くのであった。
その後、Mさんは目を患い、しばらく仕事を休んで治療に専念、そしてまた復帰されたという話を聞いたが、今はどうしておられるのだろうか、随分と会ってない。



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