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思いつきや日々の出来事などを勝手気ままに綴っております。 コメントは bbsへ へ。

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過去一覧


2009.3.29(日)

三宮で待ち合わせた神戸の義父と義母の案内でポートアイランドにある『神戸花鳥園』へ行く。
温度管理された園内では年中、綺麗な花が咲いていて、珍しいフクロウやミミズクを間近で見られる。

(上写真)オニオオハシとふれあい中。
園内の「ふれあい体験コーナー」でカップに入ったエサを買うと、どこからともなくオニオオハシが飛んできて肩や腕に留まるのだ。
鮮やかな色のくちばしもそうだが特に目の回りがオモチャみたいに作り物っぽくて不思議な感じである。
夕食はミント神戸で食事を御馳走になった。



2009.3.24(火)

第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本優勝!
大会二連覇だ。
決勝戦は前回から因縁の相手韓国である。朝からテレビの前で熱が入った。
点を入れれば追いつかれるといった気を許すことができない場面が続く。
そんな中でのレフト内川の執念のファインプレー! あれは一か八かのプレーだったけど結果ばっちり。チームの雰囲気が一気に良くなった。
岩隈、ダルビッシュの好投。中島の野球大好き少年ぶりのプレーも良かった。
延長10回に及ぶまれに見る凄い試合に興奮した。



2009.3.22(日)

『江分利満氏の優雅な生活』をあらためてじっくり鑑賞。

「カッコいいのは恥しい」(『江分利満氏の優雅な生活』より)
「かっこいいことは、なんてかっこ悪いのだろう」(早川義夫のアルバムタイトル)
これは本当に名言である。
この意味が理解できていれば、必要以上によく見せようなんて思わなくてもいいことが分かるはずだ。不器用に生きるカッコ悪い人生の方がなんとも味わい深いにちがいない。
見栄を張るな、人気者を気取るな、カッコなんかつけるな、
「カッコいいのは恥しい」のだ。



2009.3.21(土)

初なんば線で尼崎へ。
久しぶりの尼崎。
駅の南にあった思い出の喫茶店『獨木舟(まるきぶね)』が再開発のため閉店(2007年4月)していてショックだ。
商店街の立ち食いそば『都』できつねうどんを食った後、商店街の奥まで歩いて相方の思い出の地をめぐった。

夜、九条に戻り、『ドンドビ。「鶏」』で飲む。
相方がここの「せせりネギ塩レモン」の美味さに感動し、その後せせりの話ばかり言っている。



2009.3.20(金)

阪神なんば線が開通。新駅「九条駅」を見に行った。



2009.3.14(土)

寝台特急「富士」ラストランのニュースをテレビで見た。
最近に読んだ本に書いてあった寝台特急の旅もいいなあと思っていた矢先だったのでとても残念だ。
あと残る寝台特急はどれだけあるのか調べてみた。いつか乗ることがあるだろうか。

このラストランもあって、寝台特急で殺人事件が起きるという昼のサスペンスドラマを放送していた。刑事が被害者が九州の湯布院へ行った足取りを追う場面で映ったのが、以前絵描き仲間で行った豊後中村駅だった。被害者の足取りのその先はやはり筋湯温泉だった。湯けむりモクモク。ああ思い出すなあ。



2009.3.13(金)

マンションの同じフロアに入居するという若い男の人がめずらしく引っ越しの挨拶に来られた。
「めずらしく」というのも俺たちがこのマンションに引っ越して来てご近所さんに挨拶にまわったとき以来、挨拶に来た人が一度だけだからだ。
挨拶くらいなぜできないのか。マンションてなんて寂しいところだろうと思っていた。
だから今回の挨拶はうれしいのである。
やはり挨拶は「めずらしく」てはいけないものだ。



2009.3.12(木)

テレビでたまたまケンミンショー見ていたら、またヤラセっぽいのをやっていた。
大阪の人はどんな店であろうと「すいませ〜ん!」大きな声で店員を呼ぶのが常識だというのだ。
検証映像では、ファミリーレストランであちらこちらのテーブルから「すみませ〜ん!水ちょうだい!」というシーンと、高級フランス料理店内で大きな声で店員を呼ぶシーンを見せ、それに合わせてゲストの関西芸人が「こんなことあたりまえでしょ〜」と言う。
決まり切ったパターンだが、ファミリーレストランの客なんかどう見てもワザとらしい。このシーンはやはり作られたものだと思われる。
挙げ句に大阪人は宴会の幹事は「すみませ〜ん」の言い過ぎでのどがつぶれるとまでいうのだ。ほんまアホらしい。
大阪人のイメージはどれだけねじ曲げられるのだろうか。



2009.3.11(水)

黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』を鑑賞。キャピタン!



2009.3.7(土)

カレーを作った。
今回のカレーは鶏肉バージョンだ。チキンカレー!
仕上げに黒ゴマをすり潰して鍋へ投入。よりコクが出てうまかった。

今日から(?)『せいぞろいへんないきもの』がアマゾンでランキング表示されたようだ。



2009.3.6(金)

夜11時過ぎに、高校時代からの親友よっさんから電話があった。
「大阪に帰って来てるんやけど、ちょっと一杯どう」
「おう、いこ!」
決まっとるやないかっちゅー感じで二つ返事。地元駅前で待ち合わせ、近くの居酒屋で飲む。
あれこれ話した。
明日も朝から会議があるから30分か1時間と言っていたが、気が付くと2時間ほど経っていた。
やっぱりお互いちっとも変わってない。相変わらずだ。
駅前で別れた帰り道、なぜか昔よっさんが乗っていた、古くてやたらでかいマーク・ツーのアイドリングの音を思い出した。



2009.3.4(水)

『せいぞろいへんないきもの』(早川いくを著/バジリコ)が本日発売です。
ソフトカバーになって手軽に持ち歩けるようになりました。
おでかけの際には気軽に鞄の中に入れておいて通勤電車で読む。これ、どーですか。
え、定額給付金の使い道を決めかねている?
それじゃあ、買っちゃいましょうよ、奥さん!
『へんないきもの』で景気回しましょ。回るかどうか、知らんけど。
ぜひ購入をご検討ください。

ところで、今回、アマゾンでランキングとか表示されないのはなぜだろう?



2009.3.3(火)

 今日が誕生日のお袋に電話した。
 昭和7年生まれ。77歳。もうずいぶん歳である。俺が一つ歳をとるとお袋も一つ歳をとる。いつまでも年齢の差を一定に空けたまま時間は進み止まってはくれないのだ。嗚呼、コレガ現実ナリ。
 電話の声を聞くと元気そうなので安心した。
 お互い身体のことを気にかける。
 辛気くさい空気を嫌った俺がわざと頭にできた円形脱毛症のことに話を振ると、
「うちの行ってる皮フ科の先生が言うてはったで、今は男の人のハゲに効く薬があるんやて!」
「それは違う脱毛症や」
 ……やっぱりこんな会話もイヤ。

 その後もひとしきり他愛のない話をすると、
「ほな、しっかり頑張りやー!」とお袋は電話を切った。
 そっちもいつまでも頑張ってほしいものである。
 お母ちゃん、パチンコせえへんから知らんやろうけど、「昭和7年生まれの77歳」てスリーセブンやで。お母ちゃん、今年はフィーバーや!



2009.3.2(月)

 自転車の修理のため東急ハンズへ。
 後輪のVブレーキの部品が破損したのだ。走ると常にブレーキシューが片方あたったままなのでペダルが重い。ずっとあたっている方のゴムが無駄にすり減ってしまう。
 すぐ近所に自転車の修理をしてくれる店を探したが、ほとんどが「売るだけ」の店ばかりだ。今回の修理は部品交換はやむを得ないだろうし、そういう店だときっと取り寄せになるに違いない。こうなったら購入した東急ハンズに電話をして相談するしかない。
 あらかじめ電話したうえで持って行く、というか乗って行く。
 一年前に購入した時にいろいろ教えてくれたおやじさんが修理してくれた。待っている間、陳列されている他の新品部品の値段とかを見て、大体の交換部品代+修理代を予想して出費の覚悟をする。
 修理が終わり、「ありがとうございます。いくらですか?」と訊くと、おやじさんの「どうぞ」の一言。
「え? いいんですか?」
 なんと、おやじさんのご厚意で、修理代を無料にしてくれるというのだ。ここで買ったことを覚えていてくれたのか分からないが、思ってもみないことで驚いた。
「これからも大切に乗ってあげてください」
 おやじさんがにっこり微笑んで言う。後ろのカウンターにいた女性店員もにっこり。
 油で汚れた手をウエスで拭き取りつつのそのセリフ、かっこよすぎる。値段がどうのということではなく、おやじさんの優しさがうれしいし、やっぱりかっこいい。
 東急ハンズの他のフロアでも見かけるここで働いている現役を引退した職人とおぼしきおじさんたち、みんなとても爽やかで感じが良い。若い社員の中でいきいきとしているように見える。本当に良い職場なんだなと思う。



2009.3.1(日)

 先日バジリコから届いた本、『街場の大阪論』 (江弘毅著/バジリコ)を読み終えた。
いままで江さんの書く文章を読んできたわけではないので、「街場」や「……的」といった独特な言い回しに慣れてなくて、その連発に読み始めは戸惑ったが、第2章に入ったころには慣れたせいで次第に加速して読むことができた。

 江さんは岸和田で生まれ育ち、現在は神戸に住みながら、大阪で仕事をしている。以前はミーツ・リージョナルの編集長も務めていたこともあって、街や店の情報に詳しい。
 この本では、街での「『消費者』と『生活者』の違い」や、「『粉モン』としての味の分析よりも『街にある店』で味わわんかい!」とか、「正しい食べ方とか味の情報ではなく、そんなことは街をつまらなくする!」みたいなことが大阪(関西)地元に住む視点で書かれている。

 俺も昨年から大阪について考えることが多く、大阪について書かれた本をあれこれ読んだり映像などをいろいろ見てきた。その中にはオーバーに決めつけた大阪人イメージも少なからずあり、実際に大阪に住んでいる大阪人が読むとそれらに違和感と原因の分からない苛立ちを感じるのである。それからコテコテのイメージを面白がる「これが大阪人だ」というようなテレビ番組にも、カメラの前で調子に乗る大阪の若者をいいことに、そのVTRを利用したヤラセ編集が番組の向こう側に見えてきてやりきれない腹立たしさを感じることもある。
 何だろうこの苛立ち、腹立たしさは、と考えるに、それはこういうことではないか。
 外側(東京メディア)に「作られたコテコテ大阪イメージ」に本来まともな大阪の内側が、サービス精神か悪ノリか分からないが要望されるコテコテイメージに応えてやりそのまま出力する。それにまた外側が面白おかしく誇張したイメージを作ることによってさらにおかしく変異していく……。
 そうやってどんどん増幅されるおかしな大阪イメージをメディアで見るたびに何か気持ち悪さを感じるのだ。それはたぶん大阪が笑わせているのではなく、大阪が笑われているからではないだろうか。

 このように近年特にひどくなってきた大阪イメージのねじれ現象を江さんはうまく説いておられて、大変共感したのである。
それが以下に引用した、大阪の「笑われ方」とその「悲劇」について言説している文章。

「第2章 大阪からワシも考える」
『「笑わしてナンボ」と「笑われてナンボ」の違い』から抜粋

「メディアの中の大阪」はほとんど東京一極集中のメディア側からの視線であるのだが、そこでの「面白い大阪」はキャラクターとしての「あほ」や「いらち」や「下品」、「おばちゃん」や「ヤクザ」を、街としては「猥雑」「汚い」「ガラ悪い」といったものをニーズとして要求され、それに応えるように商品化していった。商品化された大阪はもちろんあくまでも「大阪的イメージ」であるが、それが売れるとなるとどっとそちらに流される。イメージ通りの大阪人を演じることと、その大阪人がイメージ通りの大阪人や大阪を抽出し笑うこと、それがある種吉本的大阪商売のコアコンピタンスになっている。それは大阪人からするとその実とてつもないワンパターンであり、もはや「面白くも何ともない」ものであるが、お笑いなりワイドショーなりといったものは、もともと一発ギャグ一つのステロタイプの反復である。
 しかしながら、テレビというメディアがそうなると当の大阪人はそのイメージをあらかじめ「自分たち」「ワシら」として内面化してしまう。すなわち東京のメディアが語る「自分たち」「ワシら」そのものを受け入れた形で自我意識を形成してしまうことになるのだ。この「ザ県民ショー的」な構造が、くいだおれをとりまく「周辺環境・時代の変化」であり、閉店の理由の一つとしてあるならば、それは大阪的な悲劇としか言いようがない。

 ホンマ、うまいこといわはる。これこそ俺が最近感じていた違和感。
 大阪人はケンミンショー見て手放しで笑ろてられへんのである。



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